土岐市駅
続サラリーマン出世太閤記 (1957年 東宝)
日本自動車の木下秀吉(小林桂樹)は新工場建設の担当者として米田(よねだ)へ向かう汽車の中で、米田で旅館を営む松村せい(浪花千栄子)と知り合った。
二人が降りた架空の米田駅はJR中央西線の土岐市駅でロケが行われた。
〔解説〕
田舎のローカル線の駅である。昭和32年の作品という事で駅舎も木造だ。木造駅舎の残る駅は全国でもまだあるが、殆どが建て替えられてしまっている。この場所を探して苦節3年。やっと「土岐市駅」にたどり着いた。
まず前作『サラリーマン出世太閤記(1957年)』の中で木下が
「君には岐阜に建設中の新工場の建設の仕事をしてもらう」と日本自動車の左右田社長(加東大介)から言われたシーンがあった。
「岐阜? 岐阜ですか?」東宝娯楽映画ではあまり馴染みの無い地方。とりあえず「岐阜」を中心に探し始める。
ではこれまでに挙げた5枚の画像の中でヒントとなるものを探してみる。
まず駅舎についてはポスターや時刻表など文字が読み取れる情報は無い。また駅舎全体の雰囲気もわからない。
画像④に車の奥に見える「鬼岩公園」の看板が見える。
「鬼岩公園」は岐阜県瑞浪市にある公園であることが判明。岐阜県の可能性大!
画像⑤商店街入口に挙げられた「朝日焼」の看板。
「朝日焼」とは遠州七窯の一つ。遠州といっても静岡県産という事ではなく、江戸時代中期の茶人小掘遠州が自分の好みで定めた全国7箇所の窯のこと。「朝日焼」は京都府にある窯である。岐阜からは離れてしまったが、岐阜には有名な「美濃焼」がある。同じ焼き物という事で、お得意の「看板架け替え」が考えられる。しかし「京都」も外すわけにもいかず、並行して調査をはじめた。
その後「京都」の線からは全くと言っていいほど手がかりが得られなかった。
ちょっと時間を戻し、駅前のシーンから汽車の中のシーンを検証してみた。
途中から乗車してきた浪花千栄子が発車の際、見送りの者に車中から挨拶をしながら列車は動き出すシーンにこんなものが映っていた。
上の2点から浪花千栄子は「土岐津駅」から乗車したことになる。
土岐津駅とは前述のとおり、JR中央西線の「土岐市駅」だ。1902年に開業し1965年に土岐市駅と改称された。
この時点で私は「土岐市駅である」と確信した。
「土岐津を出発したのに何故?」と思うかもしれないが、それは映画。必ずストーリー通りに撮影するなんてまず無いからである。
また駅前商店街入口の「朝日焼」の看板であるが、実はこの地域「美濃焼(みのやき)」のメッカである。たぶんこれに引っ掛けたんだろう。
しかしこれだけで公開するのは説得力に欠けるので、当時の土岐津駅を探してみた。
が、これがなかなか見つからない。
ようやく見つかったのが、Kanさんのブログ「私の今日の写真」の中にあった。
駅舎ではなく駅前風景だが、3枚目の画像でますます確信を得た。
ふるさとを撮る-122 今と昔・国鉄土岐津駅前風景(土岐市)>>>
どうですか? 画像⑤の商店街入口と全く同じでしょ? ご丁寧に「土岐市」と看板まで出ている。
こりゃ一度自分の目で見なくちゃと、久々の巡礼へ出発。
岐阜県の南東部に位置する人口約6万人。地方都市の宿命だろうか、駅前及び商店街はかなり寂れてしまっている。
さて第一印象として、「駅前広場がかなり広いな」と感じた。画像③でわかるように、小鈴の後がすぐ商店街の入口である。早速駅前のパン屋に入って聞いてみたところ、昭和40年(1965)に第20回岐阜国体が開催され、駅前も大規模な工事が行われたとの事。その際駅前商店街の一区画が立ち退き、駅前広場が現在の規模に拡張されたそうだ。
また画像⑤に映る商店街入口の店舗の位置は、画像⑩のタクシーの右手に木が植えてある部分、ちょうどこの位置から商店街があったそうだ。
見難くて申し訳ないが、合成するとこんな感じになる。
国体開催の為だけで駅前の一区画を立ち退かせるというのもかなり強引だが、この時、昭和天皇皇后両陛下が土岐市を行幸されたそうだ。駅名の改称もそれに併せて行われた。まぁ頷けるかな。
最後にようやく見つけた土岐津駅の木造駅舎を載せておく。
ではこれにて一件落着!
〔このシーンの出演者〕
・小林桂樹 ・浪花千栄子 ・中田康子
〔ロケ地情報〕
名称:JR中央西線土岐市駅
住所:岐阜県土岐市泉町久尻572-3
交通:JR中央西線土岐市駅下車
〔協力〕
・私の今日の写真 管理人Kan様